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2011年07月15日 (金) | Edit |
越中ななごん堂は、家庭薬・和漢薬・健康食品の問屋『(株)マツバラ』の新設事業部としてスタートしています。
ですから会社には家庭薬配置業、いわゆる『越中富山の売薬さん』が薬を仕入れに来られます。

『東日本大震災』の時は多くの売薬さんたちが被災地に仕事に行っておられました。
ですから、弊社でも、売薬さん方が津波に巻き込まれたりなさらなかったと、それはそれは心配しておりました。
幸い、全員無事ということで、知らせを聞いた社長は涙まで流しておられました。

帰ってこられた売薬さん方のお話を伺うと、みなさん『たまたま助かった』という、大変な状況であったということでした。
まさしく『九死に一生』そのもので、中には今でも『悪夢にうなされて目が覚めてしまう』とおっしゃる売薬さんもいらっしゃいます。

・宮城県に行っておられた売薬さんAさんの場合
ほとんどのお客様が『海の近く』に住んでいらっしゃったそうですが、地震の日は、たまたま『山側』のお客様のところに行っておられ、助かったそうです。しかし、現地の事務所は大被害。一度富山に帰って来てからホームセンターに携帯用のタンクをいくつも買いにいき、それらにガソリンを入れ、被災地にもどって事務所のご近所やお客様に配られたということでした。とても喜ばれたそうです。

・福島県いわき市に行っておられた売薬さんBさんの場合
地震の直前まで海岸沿いのお客様の所に居られたそうです。その後たまたまショッピングセンターに入っていて地震が起こり、店から出たところで津波に襲われたそうです。胸まで津波につかりながら高台によじ登ろうと必死だったそうです。上の方から『早く上って来い!』という声が聞こえたそうです。高台にあったお客様のところで服を借り、一週間お世話になり、その後やっと帰ってきたそうです。そのお宅で、川の水を汲んでご飯を炊いてしのいでいたということでした。

・福島県浪江町に行っておられた売薬さんCさんの場合
原発の15キロ圏内に現地の事務所にしているアパートがあるそうです。
この方も地震の直前まで海岸沿いにあるお客様のところにいらっしゃったそうです。お客様の家を出て5分後、コンビニに入っていたら地震が起こったそうです。あまりにも大きな地震で津波警報もでたので、高いところに向かおうとされたそうですが、周りの人々はそれほど慌てていなかったということでした。いつも空振りなので「またか」という状態だったそうです。渋滞を潜り抜け、やっと高いところにたどり着いた直後、津波が来たそうです。のんびりしていたら、巻き込まれていたかもしれなかったそうです。

津波が落ち着いてから別のお客様の所に行ったら、奥様が一人で不安そうにしておられ『薬屋さん、怖いから一緒にいて』と言われたので、しばらく一緒にいてあげたそうです。夕方旦那様が帰宅なさったそうですが、その方は『東京電力の職員』でこうおっしゃったそうです。
『自分は被爆しているかもしれないし、逃げるわけにはいかない。避難指示が出ているから妻を避難所まで連れて行ってくれないだろうか』
そう、頼まれたそうです。
それでCさんは奥様を連れ、避難所に向かったそうです。
だいぶ行くと消防署の職員が立っていたので
『15キロ圏内から来たのですが、避難所はありませんか?』と聞くと
『ここですよ』
と体育館を指されたそうですが、その体育館はまさに『ござを敷き始めたところ』だったそうです。
つまりたまたまの偶然で、つまり、お客様がたまたま東電の職員だったため、避難所一番乗りだったくらいにすばやく避難できたということでした。
さらに幸運だったのは次の朝すぐにガソリンスタンドに行って給油できたこと。
人々が『ガソリン不足』に気づく前になんとなく給油しに行ったので、『満タン』にしてもらえたそうです。
そうでなかったら、富山まで帰ってはこられなかっただろうということでした。
売薬さんCさんは被災地のお客様方から情報を得て(つまり、どうやればよいかを教えていただき)東電に申請し、現在15キロ圏内にある事務所に向かっておられます。
『除染』も受ける予定だとおしゃっていました。

ガソリンを積んで被災地にとんぼ返りしたAさん。
お客様のところで難を乗り切ったBさん
奥様の避難を頼まれたCさん

富山の薬屋さんたちが、どんなにお客様方から信頼され、強く結ばれているかを感じました。


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